温湯温泉佐藤旅館入り口
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■東北秘湯旅行記第三日目 (1999/08/03)
●1999年08月03日(火曜日) 朝食後、一段落してから宿の写真撮影を行う。佐藤旅館の構造であるが、昔の旅篭の面影を残している。宿泊棟は2棟が向かい合って建っており、それらが渡り廊下で結ばれているという構造になっている。2棟の間の空間は、現在では荒れるに任せている空き地であるが、その昔は秋田藩に向かう花山峠越えの旧街道が通っていたそうである。そう言われてみれば、なんとなく昔街道であったような面影が残っている。 客室内部も実に趣のある造りになっており、廊下から障子一枚ですぐ室内という、実にオープンな設計だ。定員4名の部屋は8畳程度の広さがあり窓際には古い棚が作りつけられている。山田旅館では、客室の天井が非常に低かったが、ここでは普通の高さだ。テレビや貴重品金庫といった基本的な設備は整っている。虫が多い地方らしく、電気式の蚊取りマットが用意されていた。就寝時には、宿泊している部屋の前の廊下の電気を消さなければならないというのも、ご愛敬である。
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国道398号線上から遠望した温湯温泉佐藤旅館
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国道398号線上からズーム撮影した温湯温泉佐藤旅館
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佐藤旅館内部のプランであるが、これがまた山田旅館以上の複雑極まる設計だ。館内で迷いそうだ、というか実際迷ってしまった。これは、明治、大正、昭和と続々と建て増ししてきた結果なのであろう。階段の手摺も、非常に年季の入った逸品だ。
この旅館には消火器も置いてあるのだが、「消火弾」といった今では滅多に見ることができないシロモノも常備されている。O氏によれば、これと同様の物を、江戸東京博物館で見たことがあるそうだ。消火弾は、言ってみれば消火剤の手投げ弾である。その昔、空襲で雨あられと降ってきた焼夷弾の火を消すために考案されたものだそうだ。格好は高さ20cm程度の半透明な瓶で、中に白濁色の液体が封印された形で入っている。この液体が消火剤なのか、はたまた単なる水が腐ってしまったものなのかは、今となってはわからないが、瓶の表面には製作した会社のシールも添付されており、おそらくは特殊な液体が入っていると思われる。この消火弾は、建物の要所に木枠の中に、仏像のように鎮座していた。 佐藤旅館内部で最も趣のあるところは、やはり廊下であろう。片側は客室の障子、もう片側は例の荒れ果てた中庭に面している。廊下の天井には、各部屋への電灯線が施設されているが、これも碍子を使用した旧式な配線だ。窓枠はすべて木製なので、冬期はさぞかし隙間風で寒いだろうなあ。廊下の奥には自炊場も用意されており、湯治場には必須の設備である瓦斯自動販売機も設置されていた。これは、山田旅館にも置かれていたものと同型で、コインを入れてハンドルを回すと、一定時間瓦斯が使えるというものである。ちなみに料金は10円だ。余談だがこの瓦斯自動販売機、色といい形といい、どの湯治宿でもほとんど同じものが置いてある。どうやら製造しているところは1社程度のようだ。
【2014年の追記】 佐藤旅館には、消化弾という非常にユニークな防火設備が置かれていた。これは本サイト「我楽多」に「 笠井商会 手榴弾消火器」として紹介している。おそらく当時は、このような製品を提供するメーカーが、いくつか有ったようだ。各社毎に形状や大きさが異なり、用途に応じて使い分けていたようである。なお、実際にどの程度の効果が有ったのかは、確認できていない。 佐藤旅館は、ウワサによれば2014年内に開業を予定していると聞く。過去に数回、営業再開が囁かれていたが、今度こそ以前の趣きのある温泉宿として、再開して欲しいものだ。雰囲気、泉質共に言うことナシの宿だったから・・・
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温湯温泉佐藤旅館の画像 | |
館内撮影終了後、旅館外観の撮影を行うためチェックアウトする。しかしここでちょっと失敗してしまった。佐藤旅館は一迫川沿いに建っているのだが、一旦旅館の外に出てしまうと、周囲を森に囲まれているため、旧館の外観が撮影できないのである。しょうがないので、玄関先の撮影のみ行い、その後は周辺をぶらついてみることにした。
佐藤旅館の道をへだてて向かい側には湯神社という神社があるので、まずそこを参拝する。宿の由来のところでも記したが、この神社、藤原秀衡が奉納したものである。神社といっても非常に小さい。佐藤旅館の先はバスの終点になっているが、その近くに共同浴場も設けられている。旅館の前の道は、そのまま進むとダートとなり、さらに先は工事中となっていた。おそらく、花山峠越えの旧道は、この道であったと思われる。 国道398号に架かる橋から佐藤旅館が良く見えるというので、撮影してみた。たしかに橋の上から近づけなかった佐藤旅館旧館が一望できる。宿を撮影していると、宿泊客がはるか橋の上にいる我々に手を振ってきた。実におおらかなところだな!
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温湯温泉共同浴場
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温湯温泉共同浴場近くにあるポンプ
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温湯温泉裏手にあるポンプ置き場
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湯神社
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温湯温泉佐藤旅館遠望
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国道398号線
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旅館近辺の撮影を行った後、すぐ近くにある仙台藩仙北御境目寒湯御番所を見学する。開館後すぐであったため、他に観光客もいなかった。この番所の造りもすさまじく重厚だ。梁の太さなど、一抱えもある大木を使用している。室内は大きな吹き抜け空間となっており、天井も高くて気持ち良い。解説によれば、この番所は無法者や盗賊も良く通過したそうで、体を張っての取り締まりは、なかなか大変だったそうである。
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仙台藩仙北御境目寒湯御番所
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仙台藩仙北御境目寒湯御番所
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仙台藩仙北御境目寒湯御番所
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宮交栗原バスの御番所バス停
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旧道(右側)と新道(国道398号)の分岐点
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次にどこに行くかで悩んだのであるが、とりあえず細倉マインパークというレジャー施設に行ってみることにした。花山湖を越えたあたりの路肩でまた草ヒロを発見する。今回は昔しのセドリックとクラウンだ。傍の小屋には、ホンダライフも格納されていた。旧車好きの人が保存でもしているみたいだが、レストアベース車としてはチト苦しい程度かもしれない。こうして地方の温泉地を旅行していても、草むらに放置された旧車を見ると撮影したくなってしまうのは、もはや病気かもしれんな。。。
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宮城県栗原市の廃車
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宮城県栗原市の廃車
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細倉マインパークであるが、典型的なファミリー向けレジャー施設で、ちょっとゲンナリする。しかし全長777mの観光坑道があるとのことなので、気になり見てみることにした。ここでは昔、各種鉱石を採掘していたそうであるが、坑道の規模的には非常に大きい。観光坑道内部であるが、最初はマジメな展示で面白かったが、次第に妙なコンセプトで味付けされた仮想空間っぽくなってきて、一気にシラけてしまった。しかし、外気温35℃の時に20℃以下の気温だったのは、さすがモノホンの鉱山だ。
細倉マインパークがあまりにも御粗末だったため、次は本物の鉱山跡を見学する。周囲には廃鉱山跡があるが、細倉鉱業所からも、その一部を見ることができる。細倉鉱業所は鉱山資料館の向かいにある工場で、背後の山腹に鉱山跡と思われるコンクリート製の建造物を見ることができる。 鉱業所ということもあり、廃液の影響で妙な臭いがする。のどかな地方の風景から一転して、極めてサイバーパンクな雰囲気である。さすがに、鉱業施設と廃鉱山跡の写真を撮影している観光客は、我々くらいなものであった。
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細倉鉱業所外観
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細倉鉱業所外観
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細倉鉱業所外観
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細倉鉱業所外観
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細倉鉱業所外観
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細倉鉱業所外観
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細倉鉱業所見学の後、O氏が「昔しながらの鉱山社宅があるから見に行こう」と言い出したので、見学してみることにした。鉱石採掘が盛んであった頃は、ここら辺りもかなりの人口があったと思われる。鉱山社宅は細倉鉱業所から車で5分もかからないところに密集していた。
一見すると昭和30年代にタイムスリップしたような錯覚を覚える。木造平屋の一戸建てが整然と並んでいるのである。塀も当然木造だ。どの家屋も設計標準化されているようで、見たところ全く同じ造りとなっている。玄関の軒先には、番地が記された白い板が架かっているのが特徴的だ。 社宅は、現在も住んでいる所もあれば、空き家となって久しいところも多い。いずれにしてもかなり前の建物なので、痛みは相当なものであろう。しかし、古風な消火栓といい、壁に架かっているハシゴといい、妙になつかしさを感じさせる風景であった。再開発で取り壊されないことを祈るしかない。
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細倉鉱山住宅画像 | |
※この細倉鉱山住宅については、本サイト「廃墟系」の細倉鉱山住宅 (1999年08月)」にも掲載してあります。
鉱山社宅の見学が終わったのは12時30分くらいであった。帰り道が非常に長いことを考慮し、帰途に付く。なんといっても、ここは仙台から約60km程度も北上したところなのである。東京までは東北自動車道で約400km以上も走らなくてはならない。 帰り道は細倉から県道457号→県道181号(大鳥沢辺線)を通り、国道4号、県道4号を経て東北自動車道若柳金成インターに入る。後はひたすら東京に向かうのみ。川口ジャンクションまではさしたる渋滞もなく、午後7時には東京に着く。
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